聴かせてオータムン福岡編















私の場合、『歌唱時、機能性発声障害』は7ヶ月ほどで完治したと言えます。
歌い方を忘れてしまう障害でした。
ある日突然、しやべることはできても、いざ歌おうとすると首筋が引き攣り、下顎がもたつく感じで全く歌えない。
耳鼻咽喉科へ行ってスコープで声帯を見てもらっても問題ないと言われる。
困惑していろいろ調べて、助言などもいただき『歌唱時、機能性発声障害』と判断しました。
リハビリとしては、出せる音域内(地声低音は出る)でを毎日少しずつ感覚を取り戻してゆく、徐々に音域を広げてゆくやり方でした(独自でやりました)。
絶対的なことは、焦らず無理をしないということでした。
以前はやれていたことなので、取り戻すのは、習得してゆくより早かったと思えます。
あと、マッサージやストレッチなどをやった後は比較的声が出しやすかったです。
困惑してこのブログに辿り着いた方へ。
多くの方が完治して歌えるようになっているようです。
大丈夫!安心して、焦らず、リハビリに取り組んでください。
以下が経緯となります。
同じようにお悩みの方の参考になればと記録しました。
2024年
◯2/15、ライブ営業は通常通り歌えた。
◯2/16 昼に強くストレスを感じる出来事があった。
夜の通常練習の時、首筋が張って、顎がつったような感じになり、低めのキーの歌がAメロすら歌えなくなった。
この時、喋ることは普通にできた。
何が何だかわからず、疲れてるのだろうと(実際疲れていた)その日は早く寝た。
◯2/17
しっかり寝て、夕方に練習を開始。
昨日と同じ症状で全く歌えず、即中止。
ネットなどでいろいろ調べて、ポリープではないかと判断し、次の日のライブで歌えないことを告知する。
◯2/18ライブのゲストに先輩(鈴木ナオトさん)を招いて、自身がギターを弾いて、昔有田が書いたエッセイをナオトさんに読んでもらい、ギターと朗読のセッションをする。
とても歌える状況ではないけれど、低い声では喋れる状況だった。
◯2/19午前
少し歌ってみたけど、まったくダメ。
午後に時間を作り、近所の耳鼻咽喉科にゆく。
スコープで見て写真を見ながら説明を受ける。
声帯はほぼほぼきれいで、ポリープや結節などはなかった。
しかし、拡大すると付け根にわずかな泡のような血豆があったため、声帯炎と判断される。
◯2/20
この日のライブもとても歌える状況ではなかったため、再び鈴木ナオトさんに助っ人に入ってもらい、朗読とギターのセッションでやりきる。
◯2/21
ほぼほぼきれいな声帯でここまで歌が歌えなくなるのはおかしいと、声帯の外傷ではないのではないかと強く思い、結局病院でもらった処方箋は引き換えなかった。
いろいろ調べてゆく中で、ピンとくる記事に出会う。
低めの地声と裏声は発声できるのに対してわその間の中音〜高音が壊滅状態である。
シンガーのイップスという言葉がシックリきた。
桜田ヒロキ氏のブログ→こちら
その日から記事を参考に、低い地声で軽く歌うリハビリを開始する。
桜田ヒロキ氏のブログには救われた。
ありがとうございました。
記事によると4〜6ヶ月で治るパターンが多いらしく、とりあえず目下3/6のライブはキャンセルした。
◯以降日々リハビリ
普段地声はGまでは出るのだけど、4音低いCまでしかでず、それ以上は裏返る感じで首筋が張ってしまう。
故にギターを弾く体も硬くなり、ぎこちない感じ。
15分ほどで疲れて止める日もあった。
YouTubeのカラオケで低いキーの曲に合わせて小さく歌うリハビリがしっくりきて、多用した。
◯3/6
日々の地声リハビリで少しずつ声が戻ってきていると実感できて、1音半下げなどで無理して歌う。
少々喉に痛みを感じたが、出ない音域をこじ開けるようにして1時間程歌う。
次の日、喋り声もでなくなってしまう。
◯3/7以降
喋ることもままならなくなり、風邪もひいたようで、以降3日程声をなるだけ出さないようにした。
◯3/10リハビリ再開。
声が出ない状態から、また低い声なら歌えるという所まで戻っていた。
無理は絶対禁物で、これはやはり時間がかかるものと察知し、以降に決まっていたライブ全てをキャンセルする。
焦りがなくなり、少し気が楽になった。
◯3/10以降
1日15分で疲れる時もあれば、1時間歌える時もあった。(以前は2〜5時間、毎日歌っていた)
ただ、ギターと歌のリズムがきれいに一致しない。
ようは全身で歌えてはなかった。
◯3/15口コミで人気の気療法を進められ、行ってみる。
これは治らない!と断言される。
本人は治ると思っているので、ここまではっきり言い切る施術師ななむしろ感嘆してしまう。身体に触れず、15分ほどで治るほど甘くはないかと、長期のリハビリを確信する。
◯3/20
代々木ラボにて誕生日自主イベント。
こちらは敬愛なるキャスト陣をサポートに有田はギターにて表現。
またfuraniさんにピアノを弾いてもらい、1曲だけルイアームストロングの『この素晴らしき世界』を低いキーで歌い上げる。
好評で、自身も気持ちよく迸れた。
低い声の魅力を知る大きな機会を得る。
同じ歌唱時機能性発声障害をを克服した岩手のシンガー、逢坂俊彦さんと知り合うきっかけをいただいた。
メールでのやり取りではあったのだけど、真っ先に『まず、絶対治るので安心してください!』との言葉がとても嬉しかった。
この言葉がなくてもリハビリを続けて行ったとはおもうのだけど大きな勇気をもらった。
この言葉に力をもらい、未来、同じような状況で困った人の力に少しでもなれたらと、このブログを書くことを決めた。
(後に、逢坂さんとはこれをきっかけに2024年11月に岩手で共演することが決まる)
◯3/20〜3/30
ひたすらリハビリ。
平均一日1時間程度。
徐々に音域が広がって行くのが実感。
毎週1回のリハビリ配信ライブは続けた。
マッサージに行ったあとは声が出しやすく、3〜5月の間はよく行った。
◯3/31
3月の新曲発表配信(毎月1曲新曲を発表するようにしている)。
『全くやる気が出ない』発表。
コロナ以外で20年ほど一月もライブを空けたことがなかったため、会場ライブがない生活のハリの無さがやっぱり出てしまう。
しかし、未来光が降り注いだ時、そこにちゃんと自分がいるように。
居させてやれるように、今はただ生きて凌ごうと地道にリハビリの日々を覚悟する。
◯4/1〜4/10
メロディーの波が大きくない曲などはオリジナルキーで歌えるようになる。
はっきりわかってきたことは、地声の高いキーの部分が出せないということ。
裏声とのミックスで、裏声率が高い曲は比較的うまく歌える。
太く地声率の高い(Gとか)歌はまだまだ痛みを感じた。
◯4/10〜4/20
痛みを感じたら無理をしないやり方で、少しずつ、順調に音域を伸ばす。
ライブ活動を休止していたため、焦らず取り組めた。
アップソングもオリジナルキーで歌えるようになってくる。
ただし、キーが高いと息きが漏れて、出力が弱く、ステージには遠い感じ。
しかし、6月頃にはステージに立てるのではと希望の光りも強くなってきた。
リハビリも2時間程(朝晩と)やっても平気になってくる。
◯4/24
この日のリハビリ配信はかなり瑞々しく絵を描いて歌えた。
ミックスでAキーソングもなんとか歌えた。
しかし、やっぱり地声のブレンド率を上げると痛みを感じるし、不安定になる。
この頃からGまでの地声のみの歌唱を目標とする。
◯4/24〜4/29
自身のいろんな曲が歌えるようになり、リハビリも楽しくなる。
ギターの弾き歌いに関しても、しっかりとノリながら歌えるようになってきて、一体感も増してきた。
☆ただやっぱり体調には大きく左右された。
疲れが酷い日にはリハビリは休みにしたりする日もあった。
逆にコンディション良い日は3時間ほど歌ったりといった感じ。
ミックスソングも歌えるのだが、トップはまだまだか細い感じ。
◯4/30
10回目のリハビリ配信。
新曲『歩んでゆける』発表
キーのトップはAで、まだまだ裏声率の高いトップではあったけど(発表時には声は枯れていた)もう少しで理想通り歌えると信じて仕上げる。
新曲もあまりキーを考えずに作れるようになってきた。
◯5/3
11回目のリハビリ配信
曲によってまだ下アゴの反応が遅く、もたつく感覚があるが、以前と変わらない感じで歌えるようになってきた。
順調に感じる。
◯5/6
12回目のリハビリ配信
2時間歌うと声が枯れてしまうが、午前1時間、午後2時間といった感じで歌えるようになってきた。
この日でリハビリ配信を終了。
そして、6月後半からライブ復帰することを決める。
あとはリハビリと並行して進めてゆく方針へ。
◯5/13
リハビリ配信を終えて、初めての通常配信。
かなり自由に歌えるようになってきた。
曲によって相性があるようで、低めの曲でも地声で持ち上げる曲はまだうまく歌えない。
ミックスはストレスなく操作できるようになってきた。
配信を見てる方からも、以前と違いがわからないと言った声や感想もいただけた。
◯6/10代々木ラボにて復帰のソロライブ
久しぶりとあって緊張もあったが、めいっぱいやり切れた。
その時は完全復活という自覚があったが、数ヶ月経って振り返ってみると、やはりまだまだリハビリ中であったと思う。
◯これ以降毎月4本程のライブを入れて、それを目標に練習していった。
回を増すごとに、自由に歌えるようになっていった。
◯9/20代々木Laboにて『ありけん大復活祭』イベントを開催。
自由にみずみずしく歌えた。嬉しかった。楽しかった。
◯現在2024年9月後半
毎日1〜3時間程、無理なく楽しく歌唱練習ができている。
表現も2月よりさらに進化して、自由に歌えていると感じている。
発症前の数ヶ月は、ほぼ毎日3〜5時間歌っていた。
焦りもあったのかもしれない。
疲れと、昼間の過度なストレスが重なって、脳がバグって障害となったのかもしれない。
今は疲れていると、スパッと早めに切り上げるようにしている。
無理はしない、これに限る(分かってはいたつもりだったのだけど)。
それらを踏まえて引き続き、自由に表現できるよう磨いてゆきたい。
たまに共演者から、まだ苦しそうな時がありますねとか、時折ピッチが不安定ですねとか言われたりするが、それは地で下手なだけで障害のせいではない。
しかし、後遺症なんですよね〜とか言い訳できる点はよいかな。
〜後記〜
障害当時、キャンセル等でご迷惑をかけたライブ会場の方々、共演者の方々、ご予約されていたお客様、ご理解ありがとうございました。
また、たくさんの助言や励ましの言葉をありがとうございました。
おかげさまでまた歌えてます。
これからも有田健太郎をよろしくお願いします。
また同じように困惑してる方へ、大丈夫、頑張って!!
2024/10/9
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